Admiral Yi Sun-shin Commemorative Festival Image

祭り概要

  • 行事名s李舜臣殉国祭典
  • 期間12月16日前後(隔年、陽暦)
  • 場所南海観音浦李忠武公遺跡及び、露梁一帯
  • 行事内容李舜臣運柩行列の再現、学術研究シンポジウム、公演展示、体験行事など

王でさえ民を捨てて逃げた戦争、倭軍は破竹の勢いで北へ進撃した。ややもすると日本の植民地となる所だった国の運命、しかし、海だけは無敵であった。李忠武公の卓越した戦術運用のお陰だ。彼は敵の銃弾に撃たれて死に至ろうとする瞬間も、「自分」ではなく「国」に対する憂慮が優先であった。「今は戦いの最中であるから、私の死を知らせるな。」李忠武公の愛国心の頂点とも言えるこの一言は、誇らしくも他でなく南海の露梁沖、7年戦争の最後の戦地「露梁海戦」での言葉であった。

このような李忠武公の格別な愛国精神を今日に生かし、去る2001年から李忠武公の誕生日である4月28日を前後に「李忠武公の露梁海戦勝捷祭」が3日間開催された。2004年「第4回李忠武公露梁海戦勝捷祭」からは、露梁海戦で李忠武公が戦死した11月19日(旧暦)の前後に3日間開催して歴史性を高めた。

去る2010年には「忠武公李舜臣運柩行列の再現」という行事名を掲げ、考証を経て412年ぶりに運柩行列を再現した。続いて、李忠武公の滅私奉公精神を受け継ぎ、李舜臣将軍の殉国地という南海郡だけが持つ独特の歴史∙文化コンテンツにより、世界的水準の祭典を作り上げるべく「李舜臣殉国祭典」という名に変更した。李舜臣殉国祭典のハイライトと言える運柩行列は、影幀、方相氏、喪與、旗手など1,598人の人員により再現され、南海観音浦李忠武公遺跡から出発し、去る2012年に開通した李舜臣護国ギルを経て、忠烈寺に至る。総運柩行列区間は5.3kmに達する。